一馬力工廠

プラモデル製作と考証・キット雑感

SS第503重戦車大隊 キンタの大冒険

帝国議事堂周辺概略図



キングタイガーを作るにあたって、どの車輌を作ろうか考えた時

積年の思いが詰まったベルリンの王虎にしようと考え

その足跡を辿ってみた。

 

ベルリン防衛戦のキングタイガーを知ったのは中学生のころだったけか?

「第503大隊の最後の2輌がベルリン陥落後に軍民の先頭に立って突破を図った」

というおぼろげな情報しかなく、一馬力少年にはネットで調べるにも限界があり

当時読みふけっていた「ドイツ装甲師団全史」にもミュンヒェベルクの虎1の

悲壮な防衛戦を戦う絵と簡単な説明があるだけでキンタの情報は

載ってませんでした。

しかも虎1の説明の最期には「ただ一枚の写真が今に伝えている」と

書いてる割に写真が載ってない(笑)

 

時は流れネットにも多数の有志が集まり、外国語が出来なくても電子計算機が

翻訳してくれるようになるに至って、成長した一馬力中年はベルリンの王虎

顛末にやっと辿り着けました。

 

1945年4月末頃にSS第503重戦車大隊の最後の2輌は

オルグ・ディールズ(ディアス?)伍長が指揮する314号車が帝国議事堂周辺に

カール-ハインツ・トゥルク曹長が指揮する100or101号車がポツダム広場に展開し

トゥルク曹長のキングタイガーは4月30日早朝にソ連軍の攻撃によりドライブスプロケットと最終減速機が損傷し動けなくなるも、なお奮戦し砲弾が無くなるまで戦闘を

継続して翌5月1日夕方に放棄されました。

 

一方のディールズ伍長のキングタイガーは4月30日、翌日のメーデー前に

帝国議事堂制圧を目指す30輌ほどの戦車をすべて撃破し王虎の威容を遺憾なく発揮し

議事堂が制圧された後は正面のクロールオペラをノルトラント師団と共に一時的ながら

奪回するという虎ながら獅子奮迅の活躍をみせ、議事堂を含む周囲が戦車に

取り囲まれてなお牙を剥き続けます。

 

夕方頃になってヒトラー自殺の後、総統地下壕から脱出の意思がある軍民の脱出が

決定し残っている戦車とハーフトラックが集合し21時にクルッケンベルクSS少将

指揮のもとヴァイデンダム橋を通ってシュパンダウへの突破が試みられました。

 

しかしヴァイデンダム橋を通過するとソ連軍の猛攻に会い一方的な虐殺に近い

戦いとなりました。5km移動するのに7時間もかかり、ルートは不明ながら

何とかシェーンハウザー・アレー通りの地下鉄駅を過ぎますが地雷を踏み

右履帯を切断して遂に力尽き擱座します。

すぐさま修理に取り掛かりましたがベーレンフェンガー陸軍少将に

「戦車は諦めて、君達は家へ帰るんだ」

と命令を受け戦車を爆破。

激戦に次ぐ激戦をくぐり抜けてきたキングタイガーの物語はここに閉じたのです。

 

伍長は戦争を生き抜いて回想録を執筆しています。

 

キングタイガーの顛末が徐々に見えてくるにつれて色々と疑問や新たな謎も

出てきました。

 

ベルリンでは短い戦いとは言えゼーロウから撤退して来ているので

燃料・弾薬・修理部品はどれほど備蓄があった、もしくは調達したのか?

整備中隊が定数や装備を保っているはずがないので補給・支援部隊がどれほど

いたのか・いなかったのかも気になる所

 

様々な記述ではそれらしく勇壮に書かれているんですけど

彼らの超人的な努力もありますが、僅かな歩兵と戦車だけでどうやってソ連軍と

対峙していたのかも気になりました。

 

ティーガルテンの動物園高射砲塔は帝国議事堂から11km程の距離なので

もしかしたら彼らの支援砲撃を受けていたからこそ戦い続ける事ができたのか?

とも思ったり。

高射砲塔との連絡手段があればの話になりますが・・・

 

そして最後にディールズ伍長のキングタイガーのほかに2輌のキングタイガーが

突破に参加したという戦記もあるのですが、この2輌については

1輌が捕獲された88mm砲で撃破されたという事以外全くの不明・・・

だれかご存知の方いらしたら名乗り出てください!

 

314号車の車輌に関する考証は後ほどに